長野家庭裁判所諏訪支部 昭和33年(家)106号 審判 1958年2月27日
申立人 日野達市(仮名) 外一名
主文
申立人等の氏を「田原」に変更することを許可する。
理由
申立人等提出の戸籍謄本二通並びに申立人日野達市、同日野あき子の各審問の結果を綜合すれば、申立人達市は昭和十六年一月○日田原太蔵及びその妻つぎと養子縁組を為した上、同月○○日申立人あき子と結婚して一男二女を挙げ養親と共に農業に従事して来たものであるが、養母つぎは元来右太蔵のいわゆる妾であつて太蔵の妻とき死亡後後妻として入籍したものであるところ、花柳界の出身のため平素農業を厭つて都市の生活に憧れ離村を希望して居たが、昭和三十年一月○○日養父太蔵が死亡するやつぎより申立人達市を相手方として当裁判所に遺産分割並びに離縁の調停申立を為し、昭和三十一年七月四日調停成立して離縁となり、つぎは相続分に相当する現金を申立人達市より受取つて申立人等方を立去り現在は行方が不明であること、右離縁により申立人等は申立人達市の養子縁組前の氏である「日野」に復したけれども依然従来の居宅に起居して農業を営み、且つ事実上田原の氏を称し同家累代の墓地や位牌等を管理してその祖先の祭祀を主宰して居り、近隣の者も従来通り田原と呼称して交際を続け、村役場や農業協同組合等よりの各種通知通達は勿論郵便物等も皆田原名義にて配達せられて居ること等がそれぞれ認められるばかりでなく、通学中の三人の子女はいずれも氏変更の手続を取らず依然田原氏を称して居るが、父母と氏を異にするは教育上不都合であり、又将来父母の氏である日野に改氏することは心理的に深刻なる打撃を与えることが予想せられるのである。以上のように申立人等は田原の氏を以て社会的経済的活動を継続し子女の養育に当つているのであつて、このような事情の下にある申立人等に対し日野の氏を使用せしめることは種々の不利不便を強制することになり社会通念上甚しく不当であると言わなければならない。よつて田原に改氏することを求める申立人等の本件申立は戸籍法第百七条第一項のやむを得ない事由に該当するものと認め許可するのを相当とし主文のとおり審判する。
(家事審判官 斎藤欽次)